過疎地に来るまで
前職は都市の再開発に携わる仕事でした。
もともとまちづくりに興味があった僕にとって、
転職を経てやっと掴んだ念願の第一線での仕事でしたが、
現実は思い描いていたものとは大きく異なりました。
転職を経てやっと掴んだ念願の第一線での仕事でしたが、
現実は思い描いていたものとは大きく異なりました。
開発され尽くした場所にまた同じようなビルを作る。
移動時間を数分短縮するために莫大な費用を注ぎ込んで改良する。
夢と希望にあふれた未来をつくるはずのまちづくりは、
制御しようのない巨大な力によって決められた計画を現実にするために、世間一般的にエリートと呼ばれる優秀な若者たちが、身も心もすり減らしていくディストピアのように見えました。
制御しようのない巨大な力によって決められた計画を現実にするために、世間一般的にエリートと呼ばれる優秀な若者たちが、身も心もすり減らしていくディストピアのように見えました。
努力して大学に入り安定の大手企業に就職する。
いつの間にか刷り込まれていた成功への道の先に、
自分が期待するものは何もないことが分かりました。
いつの間にか刷り込まれていた成功への道の先に、
自分が期待するものは何もないことが分かりました。
こんなことのために一度しかない人生を費やしたくない。
自分の仕事の成果が誰かの役に立つこと、社会にとって意義のあることでありたい。
自分の仕事の成果が誰かの役に立つこと、社会にとって意義のあることでありたい。
そんな思いを持っていた頃、たまたま訪れたのが福島県南会津町。
過疎地と呼ばれるその町には美しい広葉樹の山々、
ところどころに茅葺きの古民家が残る集落、
独自の文化が織り成す景観が残っており
「日本にまだこんなところがあったのか」
と思わせるほどの感動を覚えました。
良くも悪くも未開発。
都市で知った既得権益の壁の大きさに、
自分ひとりでできることの小ささに呆然としていた僕は、
そこに大きな可能性を感じました。
過疎地と呼ばれるその町には美しい広葉樹の山々、
ところどころに茅葺きの古民家が残る集落、
独自の文化が織り成す景観が残っており
「日本にまだこんなところがあったのか」
と思わせるほどの感動を覚えました。
良くも悪くも未開発。
都市で知った既得権益の壁の大きさに、
自分ひとりでできることの小ささに呆然としていた僕は、
そこに大きな可能性を感じました。
初めて南会津を訪れてから1ヶ月後には移住を決意、
約半年後には会社を退職し、南会津町の地域おこし協力隊になっていました。